昭和2年、兵庫県宍粟郡(現・宍粟市)に生まれた創業者「藤本 幸(ふじもとみゆき)」は、尋常小学校を卒業後、神戸の軍需工場で働いていたが、同16年、大東亜戦争が勃発。志願して、海軍飛行予科練生として鹿児島県第二鹿屋海軍航空隊に入隊した。その後、海軍飛行兵長となったが、同20年、終戦となり故郷の村役場に帰り就職した。
その後、同28年、幸子(さちこ)と結婚し、岡山県邑久郡(現・瀬戸内市)に居を移した。妻幸子は、邑久高等女学校を卒業後、幼稚園に勤務していたが、結婚を機に退職し、2人でこんにゃくの製造販売を始めた。
最初は、こんにゃくがなかなか固まらず、作っては捨て、作っては捨ての繰り返しだった。
また、やっとうまく作れてお店に買ってもらおうと頼んでも、既に他のこんにゃく屋の製品を販売していると言って相手にされないことが多かった。それでも粘り強く買ってもらえるお店を徐々に増やしてゆき、少しずつ忙しくなってきた。
当時、こんにゃくの製造はすべて手造りだったので、お正月前などは朝から夜まで休まず働いていた。冬場の水は手が切れるほど冷たく、さらにこんにゃくのアクで手にあかぎれができた。お店に配達するのも、木製のりんご箱の内側にトタンを張った入れ物にこんにゃくを一杯入れて運んだ。60Kg位はあったが、一人でダットサンに積んだり降ろしたりした。
その後、こんにゃくの製造工場新築移転、平成4年、株式会社みゆきやフジモトに社名変更し、現在に至っている。
①創業者「藤本 幸」と当時の工場の様子
②ダットサンの前で記念撮影
③当時のこんにゃくの型枠
④当時の天秤秤
みゆきやフジモトでは、直径約20mm以下の粒状のこんにゃくを現状で3種類ご用意いたしております。どのサイズも冷凍対応のものをご用意できますので、用途によってご指定ください。
■ ポンチ
■ パールこんにゃく
■ 白玉こんにゃく
■ こんにゃくポンチ
■ 白玉こんにゃくデザート
■ 岡山果実コンポート
■ こんにゃくもち
■ こんにゃく丸餅
■ こんにゃく大福
ボリュームアップ、カロリーダウン!!!
■ 蒟蒻拉麺
■ 蒟蒻塩焼そば
■ 蒟蒻つけ麺
■そうめん こんにゃく
■ こんにゃくごはん
■ ゆばこん極煮
■ 生芋きんぴらこんにゃくとひじきの煮物
■ 生芋ちくわこんにゃくのピリ辛
■ 生芋こんにゃくと大豆の煮物
こんにゃくを使った料理のレシピ当社では早い時期からこんにゃくの消費拡大の一環として蒟蒻料理をご紹介してきました。